大阪紀行 天王寺七坂-前編

 

今回は大阪市天王寺区にある大阪営業所付近を少し散策してみよう!

大阪には地名の元となったように坂がいくつもあるんだワン
その中でも特に有名な「天王寺七坂」を北側から紹介するワン

「天王寺七坂」とは、大阪市の中西部から上町台地を上る坂道のうち、四天王寺付近に位置する七つの坂のことです。
今となっては、ほとんどが主要道路ではなくなっていますが、逆に昔の風情を残し、歴史的名所を含むところとなっています。
西から東への上り坂で、南北一列に存在します。

真言坂

まずは、一番北の「真言坂(しんごんざか)」だワン

神社の北側に六坊があり、すべて真言宗だったため真言坂と言われるようになりました。
唯一の南北の坂で、頂上には生國魂神社があります。
生國魂神社は創建が神武天皇の時代とも伝えられる神社で、近松門左衛門の曾根崎心中や井原西鶴の作品の舞台にもなっています。
大阪三大祭りの一つ、生國魂祭はここで行われます。

ちなみに大阪三大夏祭りは、天神祭。住吉祭。生國魂祭。
または天神祭。住吉祭。愛染祭...って四大夏祭りじゃダメなの?

源聖寺坂

次に、「源聖寺坂(げんしょうじざか)」だワン

付近一帯の寺町として長い歴史を持ち、周囲には50以上ものお寺があるため、
寺町としての特徴を色濃く映す景色が広がっています。

右も左もお寺がたくさん!

口縄坂

次は、「口縄坂(くちなわざか)」だワン

口縄とは、蛇の大阪言葉(口の付いている縄=蛇)で石畳の階段の細く長い有様が、
蛇のように見えるため名前の由来となっています。
小説家の織田作之助がこよなく愛した坂で、その下り口には織田作之助文学碑があります。
文学碑には短編小説「木の都」の中の一文が刻まれています。

この口縄坂と次に紹介する愛染坂の間付近に
エーワ大阪営業所の入ったビルがあるよ

愛染坂

次は、「愛染坂(あいぜんざか)」だワン

坂上北側にある愛染堂勝鬘院にちなんで名づけられています。
愛染堂勝鬘院の一番奥にある、多宝塔は、聖徳太子により創建されました。
織田信長の大坂石山寺攻めの際に消失しましたが、後に豊臣秀吉により再建され、
国の重要文化財に指定されています。
大阪三大夏祭りの一つ、愛染祭はここで行われます。
また、急な下り坂の向こうに昔は海が広がっていたため美しい夕日が眺められる名所でした。
今でも夕陽が丘という地名にその名残があります。

聖徳太子に織田信長に豊臣秀吉!教科書にのってる人達だ~

後編へ続く

今回は七坂のうち4つを紹介したワン
残りの3つは次回をお楽しみにして欲しいワン!

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